日記

努力する才能

努力すれば誰でも成功できる。

こんな言葉を浴びて生きてきたが、ある程度年齢をかさねて、これは正論ではないと気がついた。

確かに目標を適切に設定すれば嘘ではないと思う。

「適切」というのは自分の能力を客観的な指標に基づいて判断して、自分の能力で十分に達成できると判断できるような目標であれば、努力さえすれば誰でも目標を達成できるという意味だ。

 

例えば、これまで全く医療に関係のない仕事をしていた男性が、定年退職した後に医学部に入学して医師になったという記事を読んだ事がある。

完全な素人状態で定年退職した後に医師になった人はいるのか?という質問に対する答えは Yes という事になる。

ただ、同じような試みを100人集めて実施した場合、一体何人が同じように医師になれるだろうか?

今から起業して、世界一の時価総額を誇るApple社を超えるような企業を作る事が、あなたにはできるか?

運動が苦手な人に30歳からトレーニングを開始して100m走の世界新記録を出せるか?

これまで楽器を何も学んだ事がない人が、ある日音楽に目覚めたとして、その人は世界的なミュージシャンとなって、音楽だけの収益で数十億円を稼ぐ事ができるか?

 

絶対に無理だとは言い切れないが、おそらく失敗する可能性が高いだろう。

 

例えば、こんな事を子供に言う親は子供の夢を打ち砕く悪い親だろうか?

上記の例は極端だが、偉業を成し遂げるには個々の能力を超えて運や時代背景などの不確定要素が何個も重なって結果が出ている場合が多い。

 

偉業の話は別として、人間には必ず向き不向きがある。

向いていないフィールドで戦う事は圧倒的に不利であるという事は言うまでもない。

逆に向いているフィールドで戦えば、向いていない人達よりも有利に戦う事ができる。

私は何も考えずに努力さえしていれば必ず上手くいくという考え方には絶対に賛成できない。

努力さえしていれば必ず報われるといったような無責任な事を、子供や自分の大切な人に伝える事はできない。

 

そして、努力するという事にも向き不向きがある。

努力しても、中々結果がついてこない事が多々ある。

同じような事をしている人達の何倍も努力したとしても、他の人より劣ったパフォーマンスしか出せない事もある。

そもそも、この努力を続けていて本当に正しいのか疑問に思う事がある。

こんな未知の領域で努力を継続する事ができるのだろうか?

普通はできない。

ただ、できる人もいて、できる事がある。

それは何故か?

その人には不確定な物事に対しても前向きになる才能があるからだ。

世の中には、失敗するだろうけど、無駄に頑張れる人がいる。

そもそも、失敗なんて考えずに突き進んでいく人がいる。

結局、失敗したとしても、後悔をしない人がいる。

頭で考えてしまうようではダメだ。

冷静に考えれば失敗する可能性が高いものに、時間とお金を投資する事は合理的とは言えない。

こんな非合理的な事が躊躇なくできるという能力があるという事は、これは間違いなく立派な才能だと言える。

成功するか否かは別の問題だ。

高い目標であればあるほど失敗する可能性が高まる。

最近は多くの書籍で「努力する才能」について言及されているが、努力できるという事は本人の頑張りなのではなく、親からもらった才能の1つであるという事だ。

 

 

 

 

 

 

 

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