日記

年功序列の本質的な意味とは?

なぜ日本は年功序列社会なのか?

これは儒教の影響が強いという説もありますが、実際には上手く説明できる人がおりません。

孔子は年上の人を目上として敬うように教えていますが、これは当時の権力者達の政治や統治に利用されていただけという説もあります。

私個人の考えとしては、昔は年齢が高いという事は、それだけ人生経験が長く若い人と比較した場合に知識量が多かったのではないか?という事です。

昔はインターネットもPCもスマホもありません。

情報が限定的で自分たちの周りで起きている事以外は全てテレビやラジオ、新聞で入手していたはずです。

今ほど簡単に情報にアクセスできなかった時代では知識量や経験値は年齢に比例して増加する傾向があり、大きなアドバンテージとなったと予測できます。

年齢が高いという事は、ある意味で尊敬に値する部分があったのだろうと考えられます。

 

しかし、現在は環境が異なります。

人生経験が無意味という意味ではありませんが、今は誰でもスマホがあれば、無料で膨大な量の情報にアクセスできる時代です。

例えば、ミクロな視点で見た場合であれば小学生が40代、50代の知識を上回っている分野もあるでしょう。

年齢を重ねる事が、必ずしも知識量とは比例せず若者の尊敬の対象となるわけではないケースが増えてきたのではないでしょうか?

実際に中学生がプロのエンジニアに対して、競プロのアドバイスをしていた場面をXのポストで目にした事がありました。

何も天才的な中学生や高校生でなくても、社会人より特定の分野においては優れている人が大勢いるのです。

老害などという言葉がよく使われるようになったのは、全てとは言えませんが、年配の方の思考が逆に時代遅れだと軽蔑されているのではないか?とすら感じます。

 

私自身の経験でも同じ事が言えます。

ある会社に勤めていた時に、20歳くらい年上の上司達が考えている事には、ついていけないと感じる事が多々ありました。

それこそ、古いなぁ・・・と感じたものです。

私も20歳くらい年下の人からすれば間違いなく、古い考え方の人間だと感じさせてしまう部分が多々あると思います。

 

年功序列の本質的な意味とは、「自分よりも年齢が上のを敬うべき」という事ではなく、「自分よりも優れた部分を敬うべき」なのではないでしょうか?

昔と違って必ずしも 年齢=知識量 と言えなくなった現代ではありますが、尊敬されるべき要素を持っている人もいっぱいいます。

一度、年齢で人間を見るのではなく、その人の考え方や能力、経験、知識等を見て尊敬できる部分があれば敬うべきなのです。

そのような思考によって、年功序列の本質的な部分に気がつけるのではないか?と私は思います。

 

 

 

 

-日記

Copyright© donguri.pyのblog , 2024 All Rights Reserved.