日記

「努力する」才能

よく、成功するには「努力」が大事なのか?それとも「才能」が成功の鍵なのか?こんな議論がされる事があります。

しかし、最近の研究では「努力するという行動を取る才能」の存在が知られるようになった。

これらについて実に多くの著書でエビデンスとともに紹介されている。

 

・才能のない者が才能のある者を努力で凌駕した。

こんな話は美談ではあるが、そもそも才能を凌駕する程の努力ができるという事自体が才能のなせるわざであったという話。

確かに考えてみれば納得がいく話だ。

そもそも、努力するという行動自体に合理性はない。

なぜなら、その努力が実を結ぶという保障はないからだ。

未来がみえる人は、この世の中に1人も存在しない。

未来がみえる人がいないという事は、その努力が必ずしも良い結果になるとは限らないという事だ。

それにも関わらず、なぜか「この努力が必ず実を結ぶんだ!必ず成功する!」って本気で思い込める人が、世の中には一定数存在する。

 

・努力した結果、必ずしも成功するとは限らない。

・努力した事で人生が必ずしも良い方向へ向かうとは限らない。

この事実については誰が考えたって同じはず。

ある意味でギャンブルとも言い換える事ができる「努力」という行動に多くのお金、資金、時間を投資するという事は合理的であるとは言い難い。

どのような結果になるかはわからないが、何か自分なりの答えを持って何も感じる事なく行動できるという事は、やはり才能と言わざるを得ないと個人的にも思う。

 

 

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