2024年も3月になりました。
3月になるとプロジェクトの人員入れ替えが多く、どのチームもバタバタしているようですね。
最近、色々な記事や動画を観ていると「努力」というテーマについて言及されているものが多数存在している事に気がつきました。
「報われない努力はない。」
この言葉について、あなたはどう思いますか?
というアンケートを取ると面白い結果が出る事がわかってきたそうです。
ある調査では、年齢が若い人ほど「報われない努力はある」と回答する傾向が強く、私のような昭和世代に近づくほど「報われない努力はない」と回答する割合が高くなるそうです。
実際にはどうか?
私は人生経験から「報われない努力はない。」という言葉は真実とは、ほど遠いと理解できています。
しかし、我々のような昭和世代が「報われない努力はない。」という言葉を、まるで宗教のように妄信するのはなぜか?
それは教育の影響が大きいと思われます。
実際に私は子供の時に、そういった言葉を大人から学んだ事があります。
トーマス・エジソンの生涯や過去に偉人達が残した言葉などを取り上げる事が多いです。
努力は必ず報われる。
もし報われない努力があるのならば、それはまだ努力と呼べない。
王 貞治
天才とは努力する凡才のことである。
アルベルト・アインシュタイン
力や知性ではなく、地道な努力こそが能力を解き放つ鍵である。
ウィンストン・チャーチル
誰よりも3倍、4倍、5倍勉強する者、それが天才だ。
野口英世
できると思えばできる、できないと思えばできない。
これは、ゆるぎない絶対的な法則である。
パブロ・ピカソ
努力する事には大きな価値と意味があり、努力しない事が悪であり、成功していないのは努力が足りないからであるという考え方ですね。
その結果、「報われない努力はない。」という話になるのですが、この報われないという部分が人の解釈によっても違っていて、非常に厄介な部分だなとも思うわけです。
おそらく報われないというのは、人によっては夢が必ず叶うという解釈ではない場合があるという事です。
仮に成功しなかったとしても努力する事自体が美しいという美学を持った人もいます。
または、努力した結果、自分の期待するような結果を得る事ができなかったとしても、その努力が別の分野で偶然高い効果を発揮した。
こんなケースを想定して話をしている人もいるわけです。
しかし、これらは単純に運が良かっただけの話で、努力と直接関係があるわけではなく二次的、三次的な話ですね。
仮に努力したとしても、誰もが大谷翔平選手のようになれるわけではありません。
世界的なミュージシャンになろうと努力しても、誰もがなれるわけではありません。
平均的な人よりも多くの練習を継続したとしても、井上尚弥選手には絶対に勝てない人の方が多いです。
人間には適性や才能が生まれる前に既に決まっていて、全ての分野において向き不向きがあります。
努力で技術や知識を後天的に得る事はできますが、それがその分野で成功と言えるようなレベルに到達するか否かという観点では、完全に別の話になってくるわけです。
特定の分野においては、努力によって平均値付近くらいまでであれば何とかなるような気はします。
ただ、必ずしも上位にまで到達するとは限りません。
その原因は決して努力が足りないからではありません。
我々の年代ですと、どうしても努力は素晴らしいという宗教的な価値観から抜け出す事ができない人もいます。
長期間、その価値観にどっぷり浸かってしまうと中々考え方を変える事が難しくなってしまうからです。
ただ、若い年代の方々が努力が必ずしも報われるわけではないと考える傾向が強くなっているという事は、そういった考え方は徐々に減っていくという証拠なので、時代の流れとしては良い方向に進んでいるような気がしてます。
私も自分の子供には「報われない努力はない。」と言った事は1度もありません。
努力と成功は必ずしもリンクしない。
厳しい事ではありますが、それが現実だと思います。