以前、私が勤務していた会社で、ある上司が言っていた事があります。
上司「今じゃ考えられない事かも知れないけどね、私が入社する時代は「そろばん」ができると採用が有利になったの。」
私「え!?そろばんですか…?既に電卓ありましたよね?」
上司「もちろん(笑)ただね、そろばんができる人って暗算が得意で計算が速いんだよ。我々の仕事は数字や計算が重要でしょ。だから、そろばんは評価の高いスキルだったの(笑)」
私「…」
今はスプレッドシートやExcelがあるので、仮に暗算が平均的な人間より速かったとしても業務のパフォーマンスに対しては、言うまでもなく大きく差別化を図る事はできない。
私は「そろばんなんて(笑)」ってバカにしたいのではなく、当時は一定の優位性を持っていたスキルが時間経過によって、その価値を徐々に失っていた例の1つだと考えているという事です。
価値というものは例外なく常に受給で決まります。
需要に対して供給が少なければ少ない程、価値は高くなります。
逆を言えば一定の需要がありながらも、供給が多ければ価値は下がっていきます。
この理屈は不変であり、過去も同じ事が繰り返されていた事は歴史が証明しているので永久に同じ事が繰り返されるはずです。
これはプログラミング言語なども共通して言える事でしょう。
ある一定のレベルでコーディングができる人材は希少で、価値を提供する事ができました。
しかし、ChatGPTなどの登場で一般の人でも安価に利用できる事から、今後も更に業務などに応用されていく事が容易に予測できます。
「Java?自分バリバリ書けまっせ~!」という人材なら引く手数多だった時代もあったのかも知れませんが、今後、コーディングスキルは低いけどChatGPTなどを使うのが上手な人達の方が前者と同等、場合によっては前者を上回る仕事をする可能性もなくはないわけです。
競技プログラミングで有名なAtCoderでも、生成AIに関するルールが改正されました。
AtCoder公式
時代は常に変化していて、その流れは年々速くなっていると言われています。
テクノロジーの進化は加速する一方で、当然と言えば当然です。
今、自分が懸命に学んでいる事も未来永劫、その価値を維持し続けるわけではありません。
需要は時間経過とともに変化するのもです。
そして、需要に対して供給が少ない事が知られれば必ず供給者になろうとする人が増えて供給過多になりがちです。
理由はどうあれ、必ずどこかのタイミングで寿命がやってきます。
一労働者として価値を提供し続ける為には、常に時代の変化や流れを感じつつ、その時々で必要な知識や技術を学び続ける以外に方法はないという事になりますね。
我々労働者が生き残る術は永久に学び続ける以外に方法はなさそうです。